チトセオー
1990年5月11日
主な勝ち鞍は65年の皐月賞
引退後は種牡馬入りするも活躍馬を輩出することはできなかった
しかし当時の賞金体制はすごい。。
皐月賞の1着賞金は600万
ホウヨウボーイ
1975年4月15日
デビュー戦は1番人気で6馬身差の圧勝。しかしレース後に骨折が判明。秋になってからの復帰を目指していたが再度骨折をし全てのクラシックを棒に振ったが80年の有馬記念、81年の天皇賞秋を優勝
バンブーアトラスがダービーを制した夜に亡くなった
リヴァリッジ
1969年4月13日
アメリカの馬で72年のクラシック二冠馬
傾きかけた生産牧場メドウステーブルの救世主となり、同馬主同厩のセクレタリアト以上に陣営から愛されたゴールデンボーイ
代表産駒はタップシューズ
スピードシンボリ
1963年5月3日
主な勝ち鞍は天皇賞春、宝塚記念、有馬記念2回
キングジョージ、フランスの最高級競走である凱旋門賞に日本馬として初めて出走した
胴長・脚長という典型的なステイヤーの体型を持ち、得意としたのも長距離競走であった
ターントゥ
1951年
自身も早くから優れたスピードを見せた競走馬であったが、ケンタッキーダービー前に故障し引退。
しかし種牡馬としてヘイルトゥリーズン、サーゲイロードなど現代競馬に多大な影響を及ぼした。
ロイヤルチャージャー
1942年
40年代に活躍したイギリスの馬で叔父のナスルーラ、ニアークティックと共に父ネアルコの三代主流血脈を構築し、日本競馬界を制圧しているヘイルトゥリーズン系の始祖となっている。主な産駒はターントゥ。