CLUB馬券@オッズ理論から算出した統計学3連単投資

医学知識も投稿するかもしれません

競馬をしながら時には麻酔をかけたり、時には救急で働いたり自由気ままに生きています。 統計学とExcelを駆使し過去9年の平均年間収支690万。勝ち組に入るには期待値の高い穴馬を見つけることが1番重要。30万円以上の大穴狙いで、推奨できる大穴軸馬(8番人気以降から2頭選定)を公開します。 救急や手術・麻酔の医学知識もつぶやきます。
 

テスコボーイ系

 

アラホウトク
1985年3月24日
主な勝ち鞍は88年の桜花賞、続くオークスでは7着と大敗。エリザベス女王杯4着を最後に引退
繁殖牝馬としてはオースミコンドル、アラマサダンサーなどを輩出したが、交配中の事故により98年に亡くなった

ダイゼンキング
1980年5月11日
トウショウボーイの直後
主な勝ち鞍は阪神3歳S、小倉3歳S
クラシックの活躍を期待されたが、菊花賞でのミスターシービーの5着が最高だった

アグネステスコ
1978年3月1日
主な勝ち鞍は81年のエリザベス女王杯
タケノダイヤもう一度内から差し返す!一発二発とムチが飛んでアグネスだ!アグネスアグネス、アグネス一着!杉本清アナ
5歳以降は不振で引退

リンドタイヨー
1977年3月14日
テスコボーイの直仔
主な勝ち鞍は朝日杯3歳ステークス
最優秀3歳馬に選出され順風満帆であったが、東京4歳Sを勝利後骨折し、春のクラシックは棒に振ることに。
幻のダービ馬といわれている。

ホースメンテスコ
1976年2月29日
主な勝ち鞍は79年の桜花賞で不良馬場の中逃げまくり直線に入っても衰えることなく杉本清アナはホースメンが逃げる!ホースメンが逃げる!と叫んで伝えた
ちなみにテスコボーイ産駒はクラシックはダービー以外の全てを勝っている

インターグシケン
1975年5月25日
主な勝ち鞍は39回の菊花賞。主戦騎手は武邦彦。
4歳の京都金杯に勝利した後、
脚部不安を発症し長期休養を余儀なくされ、その後競走に復帰したものの、失った輝きは取り戻せなかった。

オヤマテスコ
1975年3月19日
主な勝ち鞍は78年の桜花賞。その桜花賞は実況の杉本清アナが、懸命に、懸命に、福永洋一騎手のバチ捌き!と言うほどであり、最内で粘るサニーフラワーを交わしてついに先頭に立ちそのままゴールした。

ホクトボーイ
1973年4月22日
テンポイント、トウショウボーイ、グリーングラスのTTGと同年生まれで、それらを破り天皇賞秋を勝利
短中距離に強いテスコボーイ産駒であるがトウショウボーイよりも長距離適性が優れており、3000メートル級の阪神大賞典に優勝している

トウショウボーイ
1973年4月15日
70年代半ばにテンポイント、グリーングラスと共にTTG時代を作り天馬と称された
主な勝ち鞍は皐月賞、有馬記念、宝塚記念
能力面の特徴を類稀なスピードにあると評されている
ミスターシービー、ダイイチルピーなど多数の活躍馬を輩出

テスコガビー
1972年4月14日
牡馬と見まがうほどの馬格と軽快なフットワークでスピードの違いで後続に影を踏ませず、桜花賞、オークスの牝馬二冠を制した
杉本清アナの後ろからはなんにも来ない、後ろからはなんにも来ない、後ろからはなんにも来ないと同じ言葉を3回繰り返して絶叫した

キタノカチドキ
1971年3月27日
74年の皐月賞と菊花賞の二冠を制覇。主戦は武邦彦。ストライキがなければ三冠獲ってたであろう幻の三冠馬であり。史上初のフリーハンデ64が与えられシンザンの63を超える記録であった。杉本清アナが行っておいて下げる、まさに名人とよくアナウンスしていた

ランドプリンス
1969年3月8日
テスコボーイの直仔で、ロングエース・タイテエムとともに関西三強の一角を担った中央競馬のクラシックホースである。ライバルが多く勝ち数を積み重ねることはできなかったが、主な勝ち鞍は皐月賞。引退後は目立った活躍馬は輩出されなかった。

テスコボーイ
1963年
イギリスの競走馬で成績は残せなかったが、種牡馬として大きく成功した。産駒としてサクラユタカオー、トウショウボーイなど多数の名馬を輩出した。ナスルーラとハイペリオンのニックスはとてつもなく凄い。。