ラフフォンテース
1977年3月30日
主な勝ち鞍は79年の阪神3歳ステークス。小柄な身体で走り続ける姿から「根性娘」の異名を取った。馬体重は400kg以下。
ダイコウサクの「コ」→「ユ」と同様、ラ・フォンテーヌの「ヌ」→「ス」の間違いで馬名登録された。
インターグロリア
1974年5月1日
ネヴァービートの直仔で主な勝ち鞍は桜花賞・エリザベス女王杯の牝馬二冠、そして現在5頭しか達成していない牝馬による有馬記念連対を成し遂げるなどの活躍を見せた1970年代の中央競馬を代表する名牝の一頭である。
テンポイント
1973年4月19日
額の流星と栗毛の馬体の美しさから流星の貴公子と呼ばれた。76年に出走したクラシックでは無冠に終わったが、翌77年に天皇賞春と有馬記念を優勝した。後者のレースでトウショウボーイと繰り広げたマッチレースは競馬史に残る名勝負のひとつといわれる。
リキエイカン
1966年4月5日
68年の阪神3歳ステークスと70年の天皇賞を優勝している。その後も堅実に走るも重賞は勝てず、通算成績48戦13勝で引退。種牡馬としては目立った活躍馬は輩出されなかった。 01年に35歳という長寿で亡くなった。
マーチス
1965年5月11日
主な勝ち鞍はタケシバオー・アサカオーを一気に交わした1968年の皐月賞。G1は皐月賞のみで、タケシバオーなど強敵がいたにもかかわらず、全31戦中で4番人気以下になったことは一度もなく、1番人気に支持された回数も21回を数えた名馬である。
ルピナス
1965年4月4日
ネヴァービートの直仔で、抽せん馬ながら68年のオークス優勝馬。引退後は7頭を送り出すも活躍馬を輩出することはできなかった。
ネヴァービート
1960年
現役時代は良好な成績ではなかったが、種牡馬として大成し、マーチス、ルピナス、リキエイカン、インターグロリアなどの産駒を輩出した。母の父としてもメジロラモーヌやサクラユタカオーなどを輩出している。
ナシュア
1952年4月14日
プリークネスS、ベルモントSを制し、アメリカ二冠を達成。ラウンドテーブルに破られるまで、アメリカの生涯獲得賞金額のレコードを保持していた。
代表産駒はシュヴィーで、父子ともにアメリカ競馬殿堂入りを果たした。
ネヴァーセイダイ
1951年3月1日
イギリスクラシック二冠馬。日本ではこの系統から出た最良の馬テンポイントが競走中の怪我がもとで死亡してしまい、1980年代にネヴァーセイダイ直仔の種牡馬の成績は峠を越え、孫の代からこれといって有力な後継種牡馬が出なかった。
ナスルーラ
1940年3月2日
イギリス生産で、圧倒的なスピードを誇りながら激しすぎる気性が災いして競走馬としては大成できず。種牡馬としては大きな影響力を保持、直仔ではネヴァーセイダイ、ネヴァーベンド、ボールドルーラー、グレイソヴリン、プリンスリーギフト、レッドゴッドなど数々輩出。