CLUB馬券@オッズ理論から算出した統計学3連単投資

医学知識も投稿するかもしれません

競馬をしながら時には麻酔をかけたり、時には救急で働いたり自由気ままに生きています。 統計学とExcelを駆使し過去9年の平均年間収支690万。勝ち組に入るには期待値の高い穴馬を見つけることが1番重要。30万円以上の大穴狙いで、推奨できる大穴軸馬(8番人気以降から2頭選定)を公開します。 救急や手術・麻酔の医学知識もつぶやきます。
 

リファール系

 

マイルから中長距離で活躍する産駒が多いです。
代表産駒はダンシングブレーヴやマニラで、どちらかというと芝が得意な産駒が多いです。スピードのある馬が多く、瞬発力が凄いです。重馬場を苦にしないパワーも特徴であります。で重馬場も苦にしません。

ローレルゲレイロ
2004年5月3日
キングヘイローの直仔
主な勝ち鞍は高松宮記念(父子制覇を達成)、スプリンターズS。藤田伸二騎手との相性が抜群であった。
本馬もそうであるが産駒もスプリンターが中心。
馬名は、冠名のローレルに、ポルトガル語で戦士を意味するゲレイロからきている。

アサクサキングス
2004年3月23日
ホワイトマズルの直仔で主な勝ち鞍は07年の菊花賞。ホワイトマズルの後継種牡馬として期待されたが目立った産駒は輩出されず2016年に種牡馬を引退。リファール系自体厳しくなっているが、さらなる後継種牡馬の現れに期待したい。

カワカミプリンセス
2003年6月5日
キングヘイローの直仔で主な勝ち鞍はオークス・秋華賞。父にとって初のG1産駒である。エリザベス女王杯では、メジロマックイーンな以来、G1での降着があった。現在目立った活躍馬は輩出されていないが今後の産駒に期待したい。

テイエムオーシャン
1998年4月9日
ダンシングブレーヴの直仔でおもな勝ち鞍は桜花賞秋華賞。2000年のJRA賞最優秀3歳牝馬を受賞しているが、翌年のJRA賞最優秀3歳牝馬も受賞している。これは年度後にサラブレッドの年齢の改定が行われたためである。

ブゼンキャンドル
1996年4月24日
モガミの直仔で主な勝ち鞍は秋華賞。その12番人気で迎えた秋華賞は、全体的にハイペースとなり、直線に入るや後方から末脚を伸ばし、先行馬を差し切り優勝単勝5780円、馬連94830円の大波乱となった。なお林修さんが的中させている。

キングヘイロー
1995年4月28日
ダンシングブレーヴの直仔で主な勝ち鞍は高松宮記念。種牡馬としてはカワカミプリンセス、ローレルゲレイロなど活躍馬を輩出した。偉大な父であるダンシングブレーヴの血統をこれからも子孫たちが引き継いで欲しい。

アインブライド
1995年4月14日
コマンドーインチーフの直仔で主な勝ち鞍は97年の阪神3歳牝馬S。
引退してからは直仔は1頭のみで、7歳という若さで亡くなってしまった。ご冥福をおいのりいたします。

キョウエイマーチ
1994年4月19日
ダンシングブレーヴの直仔でおもな勝ち鞍は桜花賞。産駒は自身も持っていた脚元の不安を受け継ぐ馬が多かった。なお松幹は童顔で甘いマスクを持ち、騎手デビュー直後から女性ファンが多くいた。同期は典さん、熊さんなど。

エリモシック
1993年3月19日
ダンシングブレーヴの直仔で主な勝ち鞍はダンスパートナーをクビ差で交わした97年エリザベス女王杯。比較的長い距離が適性で追い込みといった部分も父と同じような印象であった。それにしてもキョウエイマーチなど、父の産駒は牝馬の活躍が目立つ。

コマンダーインチーフ
1990年5月18日
ダンシングブレーヴの直仔。
デビューは3歳4ヶ月まで遅れたが、デビューからわずか2か月でエプソムダービーとアイリッシュダービーを制した
引退後は日本で種牡馬入りし、後継種牡馬としてスエヒロコマンダー、ラスカルスズカ、レギュラーメンバーなどを輩出した

ホワイトマズル
1990年3月21日
ホワイトマズルは武豊を背に出走したこともある。凱旋門は6着に終わったがその当時はフランスでの騎乗経験も浅く、もう少し経験を積んでいれば勝てたと振り返っている。

レガシーワールド
1989年4月23日
日本競馬史上初めてGIを勝利した騙馬・暴れん坊。主な勝ち鞍はジャパンカップ。激しい気性が災いしてなかなか勝ちきれないレースが多かったが、ミホノブルボンと同期のレガシーはいつまでも心に残り続ける名馬である。

ダンシングブレーヴ
1983年5月11日
ノーザンダンサー直仔のリファール系
おもな勝ち鞍は2000ギニーキングジョージ凱旋門など。凱旋門賞の大外からのごぼう抜きした末脚は個人的にはディープ以上だと思う。

ニッポーテイオー
1983年04月21日
ニホンピロウイナーに続く昭和末期の名マイラーで主な勝ち鞍は天皇賞・秋、マイルチャンピオンシップ。宝塚記念ではタマモクロスと対決し、マイラーのニッポーテイオーと長距離のタマモクロスでは中距離でどちらが強いのかとファンの興味をひいたが結果は2着であった

メジロラモーヌ
1983年4月9日
1986年に桜花賞、優駿牝馬、オークス、エリザベス女王杯を制し、中央競馬史上初の牝馬三冠を達成。父はモガミでスピード・スタミナもあり中距離以上を得意としていた。同じ時期に活躍したニホンピロウイナーと並んで河内洋の名声を高めるキッカケとなった。

シリウスシンボリ
1982年3月26日
父がモガミで主な勝ち鞍はダービー。欧州遠征にも挑戦したが1つも勝利を収めることはできなかった。馬主と調教師との間で対立があり移籍騒動などもあった。主戦騎手は加藤騎手。
和田馬主はルドルフに続き2年連続のダービー制覇である。