ニジンスキーは英国3冠馬で、スタミナが非常にあります。また、底力に優れ、パワーも豊富でタフなレース展開を得意とします。母系で活躍馬が多数おり、サンデーサイレンス系との配合の相性がよいといわれており、代表産駒にラムタラ、カーリアン、マルゼンスキーなどがいます。
エイシンプレストン
1997年4月9日
アメリカで生産され、日本で調教された外国産馬。香港で国際G1を3勝と、日本では朝日杯3歳ステークスを制した。鞍上はデビューから引退まですべての競走で福永祐一が務めた。NHKマイルC前に骨折が判明し、休養を余儀なくされた時期もあった
ゼンノエルシド
1997年03月26日
カーリアンの直仔で、主な勝ち鞍は01年のマイルCS。某漫画では5本足の過去ネタで描かれていたのが記憶にある。波に乗っている時は強く、落ち込んでしまうと立ち直れないカーリアン産駒の典型的なタイプであった。
メイセイオペラ
1994年6月6日
99年、フェブラリーステークス
英雄は、東北から来た。
日本競馬史上ただ一頭、地方から中央を制した馬。
メイセイオペラ、栗毛の来訪者。
時代は外から変わっていく
フェブラリーステークスCMより
ビワハイジ
1993年3月7日
カーリアンの直仔で主な勝ち鞍は95年の阪神3歳牝馬S。おもな産駒にGI・6勝のブエナビスタがいる。全体的に末脚がある産駒が多い傾向にある。
フサイチコンコルド
1993年2月11日
カーリアンの直仔。わずか3戦のキャリアでダービー(外から音速の末脚が炸裂する!)を勝利したことから和製ラムタラの異名をとった。素直でセンスのある馬と藤田騎手は評していた。主な産駒はバランスオブゲーム、ブルーコンコルド。
タイキフォーチュン
1993年2月9日
96年のNHKマイルC初代王者
レコードタイムである1分32秒6は、当時の東京のレコードタイムとコンマ2秒しか違わず異様とも評された。三宅正治アナは驚愕し、解説の吉田均にこれは…!電光掲示板、間違ってないですよね!?と確認を求める程であった
ラムタラ
1992年2月2日
アメリカ生まれで、ヨーロッパ三大競走を完全制覇した。神の馬と呼ばれており、日本に40億円という高値で売却されました。神戸のイニエスタみたいなもんです。神様どうか大万馬券を捧げてくださいなりー。
ネーハイシーザー
1990年4月27日
父の父がマルゼンスキー。主な勝ち鞍は天皇賞秋。生涯レコード勝ちが3回ある。菊花賞ではレース中心房細動を発症し勝ったビワハヤヒデから遅れること約40秒、肺出血による調整でレースにならなかった17着のナリタタイシンから更に30秒遅れるという大差負けを喫した
ホクトベガ
1990年3月26日
主な勝ち鞍は93年エリザベス女王杯。また96年JRA賞最優秀ダートホース、NARグランプリ特別表彰馬である。ダート競走において無類の強さを発揮し、牝馬でありながらダートでは並み居る牡馬をことごとく退ける圧倒的な走りを見せたことから、『砂の女王』とも呼ばれる。
エルウェーウィン
1990年2月24日
カーリアンの直仔で主な勝ち鞍はビワハヤヒデに勝利した朝日杯3歳ステークス。引退後は種牡馬となったが目立った産駒を輩出することはできなかった。怪我からの復帰後のアルゼンチン共和国杯での勝利が思い出される。
エルナンド
1990年2月8日
フランスの競走馬
主な勝ち鞍はリュパン賞、ジョッケクルブ賞
スラマニなど多数の活躍馬を輩出
仕上がりは早く2歳戦で勝ち上がる産駒が多いが、完成するのは3歳以降で、自身と同様に10~12ハロンの距離を得意とする産駒が多い
シンコウラブリイ
1989年2月2日
カーリアンの直仔で主な勝ち鞍は、93年のマイルCSでそのスピード切れ味を武器に見事に引退レースを飾った。主戦騎手は岡部幸雄。藤沢和雄調教師に初の重賞、GI制覇をもたらした。同世代にニシノフラワー、タケノベルベット、アドラーブルなどがいる。
レオダーバン
1988年4月25日
マルゼンスキーの直仔。菊花賞トライアルの敗戦や気性の激しさといった不安材料から、菊花賞では単勝3番人気にとどまったがクラシックに出走できなかった父マルゼンスキーの代わりに見事勝利を収めた。同世代にトウカイテイオーがいる。
イソノルーブル
1988年3月13日
ラシアンルーブルの直仔。
主な勝ち鞍は91年のオークス。桜花賞では落鉄事件があったが、オークスでは、陣営は桜花賞の轍を踏まぬようメンコの二重装着やレース直前までブリンカーを着用するなど歓声を遮る工夫を凝らしてレースに臨んだ。
スワーヴダンサー
1988年2月7日
父はグリーンダンサーでフランスで活躍し主な勝ち鞍は仏ダービー、凱旋門賞。本馬は爆発的な末脚が武器であった。
落雷により10歳という若さでこの世を去った。
スーパークリーク
1985年5月27日
ノーアテンションの直仔で、主な勝ち鞍は菊花賞、天皇賞春・秋。第二次競馬ブーム期に、オグリキャップ、イナリワンとともに「平成三強」と呼ばれた。種牡馬入りで期待も集めたが、スピードやスタミナの能力を伝えることができず。デビュー以来武豊も天才と称した。
ヤエノムテキ
1985年4月11日
主な勝ち鞍は88年の皐月賞、90年の天皇賞秋。主戦は西浦騎手と岡部騎手。同世代にオグリキャップ、サクラチヨノオー、サッカーボーイなど。海外ではブライアンズタイムやフォーティナイナーと同じ年に生まれている。
サクラチヨノオー
1985年2月19日
マルゼンスキー産駒の代表馬。サッカーボーイ・メジロアルダンといった実力馬揃いの中、激しい叩き合いの末レースレコードでダービーを勝利。このダービーは名勝負の一つに数えられている。
シャーラスタニ
1983年3月27日
ニジンスキー系のイギリスの競走馬。ダービーでダンシングブレーヴの豪脚を退けて英ダービーを勝ち、愛ダービーも8馬身差で圧勝してその実力を証明した実力馬である。ニジンスキーの後継として期待されたが種牡馬としては不発に終わっている。
ファーディナンド
1983年3月12日
アメリカの競走馬
主な勝ち鞍は86年のケンタッキーダービー、87年のBCクラシック
引退後は日本でも種牡馬となったが、成績は思わしくなく2002年に廃用となり、その後屠殺処分されたとみられることが明らかになった
カーリアン
1980年3月27日
アイルランド生まれで種牡馬としても活躍。日本での代表馬はフサイチコンコルド。3戦でのダービー勝利はとても印象的で、ダービーの実況を担当した三宅正治アナは、「音速の末脚が炸裂する!」と叫んでいたそう。
ホリスキー
1979年4月13日
マルゼンスキーの直仔で、おもな勝ち鞍は菊花賞。ライスシャワーに破られるまではレコードタイムを保持していた。オープンはこの一勝であるが、天皇賞春も入線するなど長距離で力を発揮した。また主戦騎手であった菅原泰夫はホリスキーの勝利で史上3人目の菊花賞連覇を成し遂げた。
ノーアテンション
1978年3月1日
フランス生産馬で、33戦中14回が2着と勝ちきれないところがあった。天皇賞2回、菊花賞のスーパークリークなどを輩出。晩成の産駒が多く、父グリーンダンサーはスワーヴダンサーやエイシンプレストンらを輩出
マルゼンスキー
1974年5月19日
当時持込馬は出走制限があり、クラシック三冠には出走できず、無敗のまま引退。スーパーカーの異名を持つ。8戦でつけた合計着差はなんと61馬身。産駒では、ダービー馬のサクラチヨノオーなど。
ニジンスキー
1967年2月21日
ノーザンダンサーの直仔でイギリスクラシック3冠馬。産駒にはシャーラスタニ・ラムタラ・ファーディナンド・カーリアン、日本ではマルゼンスキーなど。ちなみに1965年生まれで享年25歳、直仔は2016年に全馬お亡くなりになりました。ご冥福をお祈りいたします。